マリア・カラス -その人生とジュエリー(第一幕) |
イタリアで出会った30歳年上のメネギーニと1949年4月21日に結婚。
公私にわたり、夫の協力を得て彼女はオペラ界で数々の伝説を残していき、芸術の頂上に駆け上がっていきました。
ここでマリアは30kg以上という驚異的なダイエットに成功します。
変身したマリア・カラス。
この変身のきっかけは、敬愛するヴィスコンティからの一言でした。
「君は声だけじゃなく演技力もあるから、痩せて姿が良くなれば世界一のオペラ歌手になれるよ」
マリアの変身はダイエットだけにとどまらず、身に着けるものやセンスまでもがグレードアップしたのです。
ミラノのオートクチュールのビキが当時100kg近くあったマリアと出会った1951年当時は、まだ配色のあか抜けない、服装やセンスはイマイチという感想でした。
ビキと娘婿のレイノーは、洋服のコンビネーションのやり方を教え、さらにはヴァリエーションまで徹底して教育しました。
1950年代前半マリアは絶頂を迎えます。
名声が響き渡ることに比例して、その収入も以前とは比べものにならないくらい増えていきました。
1951年(昭和26年)のマリアの年収は、2,000万リラ(約1,200万円)以上になっていました。これは現在でいうと12億円以上の価値です。
マリアとメネギーニ夫妻は既に億万長者になっていました。
歌手としての実力に見合ったジュエリーを彼女が求めたのは当然のことと思います。
また、それを見極めるだけの感性とセンスも磨かれていったのです。
この時代彼女が身に着けていたジュエリーは、真珠のネックレスであれ、ダイヤモンドの指輪であれ非常に大振りなデザインのものが多かったと思います。
映画の中でも、大粒の4連の黒真珠のネックレスであったり、大粒のエメラルドカットのダイアモンドのリングを着けたシーンが見受けられます。
彼女にとっては、インパクトのある大きさとデザインを持つジュエリー=社会的な成功の証だったのでしょう。
年々上がる彼女の名声と収入。
しかし皮肉にも夫メネギーニとの仲は次第にきしみ始めるのでした。
そんな時に出会ったのが、海運王オナシスです。
ここからまたマリアの人生は大きく変化していくことになります。
Ken
*写真:PEOPLE&PERALS(PHP研究所)
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宝石、ジュエリー
世界史(世界歴史)
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