太陽王とジュエリー:権力と富の象徴 Part2 |
ジュエリーはお好きですか?
ジュエリーというと、どのような物を頭に浮かべますか?
私は、長らくジュエリーに関わってきました。
ジュエリーが持つ魅力は様々ですね。
美を彩る物として、高価な価値ある物として、人々の憧れの物として・・・
しかし、ここでは、ちょっと違った切り口でジュエリーの魅力をお伝えしたいと思っています。
例えば、映画の中のジュエリー、絵画の中のジュエリー、ジュエリーが歴史的に果たしてきた役割など・・・
ゆっくり美味しいコーヒーでも飲みながら、この書斎で私の話にお付き合いいただけませんか?
さあ、今日は何の話から始めましょうか?
Ken
(Part1からの続きです)
そんな彼が訪れたインドは、ムガル帝国(1526-1858年)の治世であり、その中でもまさに全盛期と言われた第5代皇帝シャー・ジャハーン(1592-1666年:在位1628-1658年)、第6代皇帝アウラングゼーブ(1618-1707年:在位1658-1707年)の時代でした。
少し余談になりますが、タバルニエが訪れたムガル帝国の当時の強大な権力と富の様子を今日、我々は、見事なジュエリー工芸品によって垣間見ることが出来ます。
それは、かつてドイツ屈指の富裕な王国として栄えたザクセン公国アウグスト強王(1670‐1733年:在位1697‐1706、1709‐1733年)が、お抱えの天才金銀細工師ディングリンガーに命じて作らせた「ムガル帝国皇帝の宮廷」です(下の画像参照)。
横幅2メートルはあろうかという巨大な置物。この名作は、現在ドレスデンのグリーン・ヴォルト宝物館に展示されています。
中央に第6代アウラングゼーブ皇帝が鎮座する宮廷では、彼の回りに百人近い兵士や召使、外国から貢物を持ってきた使者などが実にリアルに再現されています。
人物や動物には、精緻なエナメル細工や宝石がちりばめられ、人物の表情や建物の細部など、驚くべき精密さで作られているのです。
私は、実は20年近くこの作品を見たいと思い続け、やっと2008年初頭に見ることが出来たのですが、当時のムガル帝国の宮廷がいかに喧騒に満ちた優雅な一日を過ごしていたかを知ることが出来たのでした。
さて、そんな飛ぶ鳥を落とす勢いのムガル帝国を訪れたタバルニエは、王朝の財宝を実際に自分の目で確認し、また、インドのゴルコンダにあった伝説のダイヤモンド鉱山にも足を運んだのでした。
このようなインドやペルシャへの6回に及ぶ、東方への旅の様子は“The Six Voyages”という旅行記に記されています。
特筆すべきは、インドのジュエリーに関する詳細な報告がなされている点です。
皇帝のとてつもないジュエリーのコレクション、インドのダイヤモンド鉱山と採掘方法、ダイヤモンドの価格と計算方法などなど。
また、インドはダイヤモンドが有名ですが、カラーストーンについても仔細な記述があります。
カラーストーンが採掘される場所は、東洋に2箇所しかない。それは、ペグー王国(現在のミャンマー)とセイロン島(現在のスリランカ)です。
特にペグー王国では、ルビー、スピネルなどが、そしてセイロン島では、ルビー、サファイヤ、トパーズが採れたと書かれています。
また、こんな記述もありました。
「・・・第一宮廷の広間に置かれている大玉座の土台を支える4本の棒のすべては、たくさんのダイヤモンド、ルビー、エメラルドがちりばめられた金で、飾られており、それぞれの棒の中心には、カボッションカットの巨大なバラス・ルビーがついていて、そのまわりには、正十字を形作るように4つのエメラルドが置かれている。・・・」と。
この記述から、現代に生きる私たちは、宮廷の壮麗さを知ることが出来るのです。
またヨーロッパからペルシャ、インドへの旅は、海賊に遭わないために、どのルートがベストで、どの隊商と組むのが良いのかということが書かれており、当時の旅がいかに大変だったのかを私たちに教えてくれます。
さて、ジュエリーの知識に詳しく、数ヶ国語に通じていたタバルニエは、精力的にヨーロッパを行き来したやり手の商人であり、インドで手に入れたジュエリーを売って、莫大な利益を得ていました。
当時のフランス王室が手に入れたジュエリーの大半は、タバルニエが旅先から持ち帰ったものでした。ルイ14世が彼から購入したダイヤモンドの目録が今も残っているのです。
実際に彼がルイ14世に売ったダイヤモンドの中で後世、特に歴史に名を残したものをご紹介しましょう。
≪ホープダイヤモンドがもたらした数奇な運命≫
ホープダイヤモンドの名前を耳にしたことはありますか?
このダイヤモンドほど、数奇な運命を辿った石はそうないでしょう。
このダイヤモンドをフランスに持ち込んだのは、何を隠そう、あのタバルニエだったのです。
1668年に6回目の旅行から戻った彼は、持ち帰ったジュエリーをルイ14世に売ったのでした。
この時、ルイ14世はタベルニエが見せてくれたダイヤモンドをすべて買おうとしますが、さすがに思いとどまり、それでも大きなダイヤモンド45個、小さなダイヤモンド1122個を買ったのでした。
その中には、大変美しいブルーのダイヤモンドがあり、それは300万ルーブルで売却されました。
原石自体は112キャラットの重量があったそうですが、リカットされ67キャラットになりました。
このダイヤモンドが、まさに「ホープダイヤモンド」です。
なんとルイ14世は、このダイヤモンドを生涯1度しか身につけなかったそうです。
その後、次から次へと人の手に渡った、ホープダイヤモンド。
不思議なことにこのダイヤモンドを所有した者は、次々と数奇な運命を辿ることになります。
いくつか、エピソードをご紹介しましょう。
このダイヤモンドを相続した、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットはフランス革命で処刑されました。
フランス革命後の話です。
国有家具調度品保管庫に納められていたこのダイヤモンドは、1792年に盗難にあいましたが、1830年に突然姿をあらわしました。
この後、ロンドンの大銀行家ホープ氏が購入し自分の名前をつけました。
以後このダイヤモンドは、「ホープダイヤモンド」と呼ばれるようになったのです。
しかしホープ一族は、数々の不幸に見舞われ、最終的に破産するのです。
その後、このホープダイヤモンドを手にしたニューヨークの宝石商、フォセオ・フランケルは、破産しました。
ロシア貴族、カニトウスキー公爵は、お気に入りの、パリの踊り子に貸し出しましたが、彼女は情婦から嫉妬され殺されてしまいます。そしてその2日後には、公爵も謎の死を遂げます。
その後、パリの競売で競り落とした、トルコの王、アブドル・ハミド2世は、数ヵ月で、軍の叛乱により、王座をおろされパリへ亡命。
その後、ピエール・カルティエに勧められて購入したのは、アメリカの大富豪であり、「ワシントン・ポスト」紙のオーナーであった、エドワード・B・マクリーンでした。
その息子は、自動車事故で死亡。娘も睡眠薬の飲みすぎで死亡。本人は大酒飲みで発狂してしまいました。
1958年には、最後の買い手である、アメリカの宝石商、ハリー・ウィンストンが、ワシントンのスミソニアン博物館に寄贈して現在に至ります。
因みに、このハリー・ウィンストン。
交通事故に4回も遭い、事業に失敗して破産の憂き目に遭っているのです。
本当に凄い魔力ですね。
(Part3へ続きます)
Ken
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宝石、ジュエリー
世界史(世界歴史)
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