夢・チャレンジ・全力投球、マイ・マスターMr. Aのこと |
40年ちょっと生きてきて、私にも何人かそう呼ぶに相応しい人物がいました。
最近、人生の折り返し地点を迎え、これから後半生を生きていこうとしている私にとってまさにそう呼べる人物に出会いました。
正確に言うと、もうその人のことは何年も前から知っていましたが、ここにきて、その人の凄さ、素晴らしさに改めて気付いたと言った方がいいでしょう。
彼は、今の、もしくはこれからの私にとっての『マイ・マスター』と言っていい存在なのです。
彼は、同じ会社の大先輩。ここでは、Mr. Aと呼びましょう。
今年68歳の彼は、大学を卒業後、ジュエリーを扱う今の会社に入社しました。
会社にとって必要とされた彼は、会社側の慰留を受けて、定年後も勤務していました。
ところが、46年勤めた彼は、会社の事情もあって、この4月に会社を退社することになったのです。
そのことを聞いて、動揺を隠せない私をよそに明るく、『これからはやりたいことをもっとやるんだぁ!』と意気軒昂に語るのでした。
Mr. Aと親しく話をするようになったのは、ほんの半年前でした。
ジュエリーにまつわる執筆を思い立った私は、一人でせっせと書き進めていましたが、その半面内容などに本当にこれでいいのかなと不安が募り、その道のプロからアドバイスが欲しいとも考えていました。
そこである時、思い切って、大先輩であるMr. Aに内線電話をかけ、昼食に誘ったのでした。
彼は、既にジュエリー業界では、誰もが知っているプロ中のプロであり、論文も投稿しており、海外でもその名を知らない人はいないくらいの有名人物なのです。
『ジュエリーについて執筆を始めました。第1作を読んで頂きたいのですが・・・』と恐る恐る、書き上げたものをお渡しし、お願いしてみました。
すると、『なかなか面白い試みじゃない、ぜひやってみたら』とすんなり認めてくれたのです。
そして、その昼食から帰ってくると、すぐに私のもとにやって来て、『早速読ませて貰ったけど、この箇所の参考になると思うよ』とおっしゃって、英語の分厚い文献を一年がかりで和訳された大切な資料の一部を惜しげもなく私に貸して下さったのでした。
偉ぶることもなく、あっさりと。
これがMr. Aとの始まりでした。
それからは、一つの作品を書き終える度に、私はMr. Aを昼食に誘い、原稿を誰よりも早く直に手渡して、1時間の昼食の時間に色々な話をしました。
その時間が、今思えば私にとって、宝物のようにキラキラした時間でした。
彼は、色々な話を私にしてくれました。
正倉院に調査のために立ち入った時の話。
モスクワで思いがけず国賓級の待遇を受けた時の話。
中東で、慣習の違いから、危うく帰りの飛行機に乗り遅れそうになった話。
等など。
含蓄ある一つひとつの言葉、そしてお話は、全てが経験に基づく実話であり、嘘偽りのない彼自身が身体で実証してきたものでした。
何だか、1時間、貴重な講演会を無料で聞いているようで、いつも昼食を終えると得した気分になるのでした。
思い出深い、その中の幾つかのエピソードをご披露しましょう。
執筆が進まなくて、少し悩んでいた時、Mr. Aは、私に向かって、『発明の極意はね、念・忘・解だよ』とおっしゃいました。『忘年会』で覚えておくといいよと。
『一生懸命に書いてみたら、一旦忘れること。しばらく寝かしておくと、やがてぱっと閃く時がやってくる。答えが解けるんだよ。それが発明の極意。だからあまり慌てなさんな!』
そう言って、いい文章というものは、それなりの時間が掛かるものだよと発明の極意の話を持ち出して、スランプ気味の私を優しく気遣ってくれました。
また正倉院に入った時は、お抱え学者が断定する説に、公然と異論を唱え、会社から重い検査機材を持ち込んで、1週間詰めて、その説を覆すことを証明してみせたのでした。
『僕は、ただがむしゃらに常に全力投球してきただけ。でもお抱え学者が、居丈高に勝手に決め付けるのには反発した。だから何とか事実を追求したかったんだ』と。
また、日本語の論文だけを出す研究者に対して『日本語でいくら素晴らしい論文を書いても意味がない。やはり世界で自分の書いた内容を伝えるには、同時に英語版を出さないと世界では全く相手にされないんだ』と。
彼は、その昔、重要な会社の成果について、英語で、世界に伝えなくて、大きな利益を逸してしまったことを生涯悔いていました。それから一生懸命英語を勉強して、自身の論文や出版物には、必ず英語版も出すようにしているということでした。
それ以外にも書き切れない珠玉の言葉をたくさん頂きました。
そんな彼は、先日会社から次の雇用契約の更新をしないとの宣告を受けました。
68歳といえば結構なお年。もうそろそろ引退。年金を貰って余生は静かに暮らそう、そんなふうに思う人がいるのかも知れませんね。
『どうされるんですか?田舎に戻られるのですか?』と伺うと、信じられない言葉がMr. Aから返ってきました。
『会社からもう契約しないと言われた2日後にとある国に飛んで、そこで国家プロジェクトの依頼を受諾してきたんだ。前からやってみたいプロジェクトでアプローチされててね』と笑顔で答えたのでした。
そんなMr. Aは嬉しそうにこれから自分が取り組もうとするプロジェクトについて彼の夢を少年のようなつぶらな瞳で、私に話してくれたのでした。
さらに、『日本に閉じこもって何かやる時代ではない。これからは世界の最適地を拠点に仕事をするのだ』と言い、香港に会社を設立した名刺も頂きました。
『Mr. A、格好良すぎます!』思わず感動してしまいました。
彼は常々『人間、何か一つのことを極めようと思ったら、5~10年は必要だろう。私はこれから10年かけて何か大きなことにチャレンジしたいんだ』と。
そうだったのですね。でもそのやりたかったことが国家プロジェクトの推進役、アドバイザーだったとは。
いやはやもう何も言うことはありません。完全に参りました。
さて、私も、やっと人生の折り返し地点。
人生も少し面白くなってきた頃。
今の私の夢は、『マイ・マスター、Mr. A』のような凄い人物と、肩を並べて、一緒にタッグを組んで国家プロジェクトを推進できるような人間になりたいですね。
いつも『夢』を抱いている
いつも『チャレンジ』する気持ちを忘れないでいる
そして、いつも『全力投球』で事にあたる
そんな人物Mr. Aのように。
Ken
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