太陽王とジュエリー:権力と富の象徴 Part3 |
ジュエリーはお好きですか?
ジュエリーというと、どのような物を頭に浮かべますか?
私は、長らくジュエリーに関わってきました。
ジュエリーが持つ魅力は様々ですね。
美を彩る物として、高価な価値ある物として、人々の憧れの物として・・・
しかし、ここでは、ちょっと違った切り口でジュエリーの魅力をお伝えしたいと思っています。
例えば、映画の中のジュエリー、絵画の中のジュエリー、ジュエリーが歴史的に果たしてきた役割など・・・
ゆっくり美味しいコーヒーでも飲みながら、この書斎で私の話にお付き合いいただけませんか?
さあ、今日は何の話から始めましょうか?
Ken
(Part2からの続きです)
≪ルイ14世を取り囲む人びと;フランス貴族のダイヤモンドコレクター≫
フランスの貴族たちも、ルイ14世に負けず劣らず、ジュエリーやダイヤモンドをこよなく愛したようです。
ルイ14世の治世において、フランスで宰相を務め、絶対主義王政を確立することに尽力した、ジュール・マザラン(1602‐1661年)という男性を紹介しましょう。
彼は、わずか4歳で即位したルイ14世の宰相として、ルイ14世が24歳になるまでの約20年もの間、フランスの政治を切り盛りしたのです。
実はこのマザラン、自分の私財を蓄えることにも大いなる才能を発揮しました。
そして、1661年に亡くなった時には、なんとルイ14世に合計で18個もの大きなダイヤモンド(最大53カラットから6カラットまで)を遺贈したのでした。
その後、盗難などによって所在が不明になっていますが、一番大きなダイヤモンドは、「サンシー」という名前で今では、ルーブル美術館で見ることが出来ます。
「サンシー」は、1570年頃、トルコのフランス大使で、サンシーの領主、ニコラ・アルレーがコンスタンチノープルで購入したものですが、ファセットが対称に研磨された最初のダイヤモンドと言われています。
その後、フランス国王と英国国王の間を行き来し、多くの伝説を残しました。
素晴らしいコレクションの数々を手にしたルイ14世は、きっと一人、自分の部屋でこれらのコレクションをうっとりと眺めていたに違いありませんね。
ところが、ルイ14世が一番好んだダイヤモンド・ジュエリーが、こともあろうか、なんと、ダイヤモンドを衣服のボタンにしていたというのは、何だか驚かされますね。
≪散逸した大コレクションとルーブル美術館≫
ブルボン朝の、ルイ14世から16世の三代にわたる浪費癖は、歴史上他に類を見ないと言われています。
しかしながら、ルイ14世と15世の時代に買い集めたダイヤモンドやあらゆるジュエリーは、16世、そしてマリー・アントワネットの時代にすべて無くなってしまうのも、歴史の必然だったのでしょう。
ルイ14世のジュエリー、ルイ15世の王冠、マリー・アントワネットのダイヤモンドなど、王室の贅を極めたジュエリーの一部は、2004年に再オープンしたルーブル美術館のドゥノン翼2階のアポロンギャラリー(下に画像)に展示されており、往時の勢いの一端を垣間見ることが出来ます。
このアポロンの間は、かつてるルーブル宮に入ったルイ14世が、ル・ヴォーに新たなルーブル宮整備計画を作らせ、自らを讃える寓意画で飾った部屋です。
ところが、この部屋で今日、我々が見ることが出来るダイヤモンドなどのジュエリーは、かつてのフランス王室のコレクションに比較すると、実はそんなに多くありません。
先に書いたマザランからの遺贈である55カラットの「サンシー」、20カラットのピンクの「オルテンシア」、140カラットの「レジャン」などが並んでいますがさすがに迫力不足と言えるでしょう。
なぜ、買い集められたコレクションが、いまとなっては一部しか残っていないのでしょうか?
それは、フランス革命など数度にわたる革命騒ぎの結果、大幅に失われたからなのです。
さらに、19世紀に入ったフランスは、帝政、王政、共和制を繰り返します。
1870年、第三共和制政府からフランスを追われたナポレオン皇帝一家は、ロンドンに亡命し、王室のジュエリーを持ち出しロンドンで売って、生活の足しにしたのでした。
さらに悪いことに、第三共和制政府の大統領グレヴィが、自身の政治的立場を強化するために、フランス王国歴代のクラウン・ジュエルをほとんどすべて売却する決定を下してしまったのです。
1872年に大蔵省に回収されていた、ルイ14世ゆかりのジュエリーを含む、フランス王家伝来のジュエリーは、78年と84年の2回、一般公開されています。
そして、資料的価値のある若干のもの(それらはルーブルと科学博物館に渡された)を除き、48ロットからなるフランス王国歴代のジュエリーは、驚くことに、1887年5月12日から23日にかけてすべて競売にかけられたのでした。
最大の買い手は、なんとアメリカのティファニーで、これらのジュエリーは、アメリカへ持ち帰られて、ばらばらにして作り直され、出所証明書とともに売却されました。
このようにして、売られてしまったジュエリーの多くは今日では原型を留めず、所在の分かるものは稀なのです。
世界最大のジュエリーコレクションの一つが、フランス人自身によって売り払われることになったのは、歴史の皮肉としか言いようがありません。
ですから、現在のルーブル美術館で見られる、王家ゆかりのジュエリーコレクションはほんの一部にすぎないのです。
ひとつの大きな時代を築いた、太陽王、ルイ14世。
膨大な数のジュエリーを集めた彼のコレクションは、自身の死とともに消えていってしまったのはある意味、歴史の必然だったのでしょう。
Ken
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宝石、ジュエリー
世界史(世界歴史)
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