アール・デコに開花したジュエリーと女性の社会進出 Part1 |
ジュエリーはお好きですか?
ジュエリーというと、どのような物を頭に浮かべますか?
私は、長らくジュエリーに関わってきました。
ジュエリーが持つ魅力は様々ですね。
美を彩る物として、高価な価値ある物として、人々の憧れの物として・・・
しかし、ここでは、ちょっと違った切り口でジュエリーの魅力をお伝えしたいと思っています。
例えば、映画の中のジュエリー、絵画の中のジュエリー、ジュエリーが歴史的に果たしてきた役割など・・・
ゆっくり美味しいコーヒーでも飲みながら、この書斎で私の話にお付き合いいただけませんか?
さあ、今日は何の話から始めましょうか?
Ken
『アール・デコ』という言葉を耳にしたことはありますか?
『アール・デコ』は、アール・ヌーヴォーの時代に続き、ヨーロッパやアメリカを中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行した、一つの装飾の傾向を指す言葉です。
では、どのような印象をお持ちですか?
≪アール・デコの特徴と時代背景≫
『アール・デコ』の名称は、1925年にパリで開催された、「現代の装飾美術と産業美術国際博覧会」という名前に由来します。
それは、過去の模倣や継承とは無縁の作品だけを展示しようという主旨のもと、近代産業と芸術の融合を目的として開催されました。
アール・ヌーヴォーと比較すると、アール・デコの特徴がより鮮明になるでしょう。
アール・ヌーヴォーは、植物や女性をモチーフに、曲線を多用した有機的なデザインであり、一点ものが中心でした。
一方、アール・デコは、幾何学図形をモチーフにした記号的表現や、原色による対比表現などを特徴に、より工業化、近代化が進んだ社会にあって、大衆に消費された装飾でした。
<アール・デコ建築のクライスラービル>
このアール・デコが生まれるには、以下のような社会的背景があったと言われています。
第一次世界大戦での多くの戦死者。
支配階級である王侯貴族社会の終焉。
戦争に行った男性の隙間を埋めた女性。
一つの大きな特徴として、『女性の社会的躍進』がキーワードだと言えるでしょう。
今回は、アール・デコという時代にあって、社会に進出し、それぞれの分野で名声を確立した、象徴的な二人の女性、マリー・ローランサンとココ・シャネルを取り上げます。
そしてこの時代を起点に、女性が自ら自分のためのジュエリーを選ぶようになった、その背景と時代を彩った、特徴的なジュエリーについて見ていきたいと思います。
≪マリー・ローランサンとココ・シャネル≫
まずは、一枚の絵をご紹介しましょう。
<マドモワゼル・シャネルの肖像> 1923年 オランジェリー美術館所蔵
この絵を描いたのは女流画家、マリー・ローランサン。
何かに傷つき、絶望してしまった、そんな表情をしたこの女性は、物憂げな瞳で、自分の頭を支えながら、椅子にもたれかけています。
実は、このモデルこそが、モード界の女王ココ・シャネル。
この絵の中の女性が、ココ・シャネルだとは…
驚かれる方も多いのではないでしょうか?
一般的に大半の人が、シャネルに抱くイメージは、圧倒的な力を持つ、強い女性ではないでしょうか。
一方、この絵から受ける、肌身を無防備にさらして救いを求めているような姿は、それとは対極のイメージかもしれませんね。
実は、ローランサンとシャネルには、共通点が多いのです。
第1に、1883年の生まれであること。
第2に、不幸な幼少期を過ごしていること。
- ローランサンは私生児として生まれ、シャネルは12歳で母親を亡くし、父親に捨てられます。
第3に、アール・デコの時代にそれぞれの分野で大活躍したこと。
- ココ・シャネルは、ファッションを通じて女性たちの心身を解放し、服飾の既成概念を覆すなど、ファッション界でその頂点を極めます。
- ローランサンは、絵画の世界で脚光を浴び、当時、パリの上流婦人の間では、彼女に肖像画を描いてもらうことが流行となっていました。パステルカラーの華やかで、夢見るような少女像という独特の画風によってローランサンは一世を風靡していたのです。
二人は、分野こそ違えども、まだまだ男性社会の当時において、己の名声を確立した女性のパイオニアと言えるでしょう。
この絵が描かれた1923年は、二人とも、それぞれの分野において、まさに絶頂にいました。
自らの力でファッション界の頂点に立ち、その栄華を極めたココ・シャネル。
でもそれはあくまで外面的なこと。ローランサンは彼女の中に、はかなげな女性としての美しさを見たのでしょうか?
当時はまだ、男性社会で、女性が職業を持つには、世間の風当たりは冷たかった時代。
強気な態度で、仕事にのめり込んでいったシャネルも、同様に頑張っていた、マリー・ローランサンには、自身の等身大の姿を見せていたのかも知れませんね。
アール・デコの時代、女性たちは、自己主張することを覚え、自ら装いを選び、表現する自由を得たのでした。
そして、ローランサンやシャネルに代表されるように、様々な分野で活躍する女性を輩出した時代とも言えるでしょう。
では、このような力強い女性が、躍進したアール・デコという時代には、どのようなジュエリーが生まれたのでしょうか?
≪アール・デコ時代のジュエリーを生んだ背景≫
まずは、その時代背景について、見てみましょう。
アール・デコは、第一次世界大戦がもたらした社会現象です。
1914年の戦争勃発は、それまでの享楽的なムードを一変させました。
夜のパーティーは一切消え、宝石は安全な地下室へ隠されるか、売却されました。
戦争では、ヨーロッパが戦場となりました。
戦死者の数は何と1,000万人超。
その間、男性の代役を務めたのは、残された女性たちでした。
彼女たちは初めて戦争にも参加し、従軍看護婦や救急車のドライバーなどとして活躍したのです。
やがて戦争が終わり、それまでの4年間の苦難と欠乏の反動から生まれた新しいモットーは「過去を捨て、現代に生きよ」でした。
ベル・エポックという戦前の、社会的な伝統や流行、価値観は大きく変わりました。
そして、そんな彼女たちが望んだデザインとは、
機能的
シンプル
シャープ
エレガンス
社会に出て、男性の代わりにバリバリ働こうとしている女性にはごてごてした、デザインは不要だったのでしょう。
そのような、社会的な風潮を受けて、ジュエリーの世界でも大きくデザインの傾向が変わります。
それまでの、優美な曲線を施した『アール・ヌーヴォー』や大振りで繊細な『エドワーディアン』といった様式のジュエリーは、この時代の女性には合わなくなっていたのでした。
Ken
(Part2に続きます)
こちらが関連サイトです↓
宝石、ジュエリー
世界史(世界歴史)
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